東京高等裁判所 昭和25年(ネ)473号・昭25年(ネ)143号 判決
控訴人の本件控訴並びに被控訴人の本件附帶控訴は、いずれもこれを棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とし、附帶控訴費用は被控訴人の負担とする。
三、事実
控訴代理人は、「原判決中控訴人勝訴の部分を除きその余を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人の附帶控訴に対し、控訴棄却の判決を求めた。
被控訴代理人は、「控訴人の控訴を棄却する。」との判決を求め、附帶控訴として「原判決を左の如く変更する。控訴人は被控訴人に対し甲府市柳町七十四番地に建設してある木造亜鉛葺平家建店舗兼住宅一棟建坪十六坪を收去してその敷地二十坪(同所七十四番地宅地の西南端、柳町通りと鍜治町通りとの角を基点として、これから北へ間口四間、東へ奥行五間の土地)を明渡し、かつ昭和二十二年七月一日から明渡済に至るまで一ケ年金十一万九千六百円の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とす。」との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求めた。
当事者双方の事実上の主張並びに証拠の提出、援用、認否は、被控訴代理人において、事実関係として、(一)控訴人の本案前の抗弁に対し、その主張事実を争う、(二)控訴人の後記自白の取消に異議あり、控訴人の該自白を援用すると述べ、更に証拠として、甲第四号証を提出し、当審における証人須田庫行、同清水勝太郎の各証言、被控訴人本人訊問の結果並びに検証の結果を援用し、控訴代理人において、事実関係として、(一)本案前の抗弁として主張するところは要するに、被控訴人(第一審原告)の訴訟代理人である青柳孝弁護士は、本訴提起前控訴人から、当事者間の本件係争関係について、事実及び統過を述べてその意見を求められたのに対し、楽観的意見を述べたばかりでなく、訴訟になつたら御願するとの控訴人の申出に対し、承知の旨を返答したものであるから、右事実はまさに弁護士法(旧)第二十四条第一号にいわゆる「相手方の協議を受けて賛助を為し」または「その委嘱を承諾した」場合に該当するものであるというに在る。従前右の事実を以て弁護士法(旧)第二十四条第二号に該当するとなした主張(原判決事実摘示参照)は誤りであるから、これを撤回し叙上の如く訂正する。(二)控訴人が昭和二十年十一月二十四日被控訴人から、甲府市柳町七十四番地の土地を賃借したことは認めるが、その賃借土地の坪数が十坪であることその他右賃貸借の内容が被控訴人の主張の如くである事実は否認する。従前この点について被控訴人の主張を認めたのは(原判決事実摘示参照)錯誤に基きかつ真実に反するから、該自白を取消す、(三)仮りに控訴人主張の如き新なる賃貸借契約(原決判事実摘示参照)が成立しなかつたとするも、被控訴人は控訴人の本建築の際何等の異議をとどめずその建築に同意したものであるから、その際通常の借地権を付与したものであると陳述し、証拠として、更に当審における証人宮川みきの証言、控訴人本人訊問の結果並びに検証の結果を援用し、甲第四号証は不知と答えたほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。
三、理 由
よつてまず本訴の提起が弁護士法(旧)第二十四条第一号に違背し不適法であるとの、本案前の抗弁について、按ずる。
原審(第一、二回)並びに当審における控訴人本人訊問の結果を綜合すると、被控訴人(第一審原告)の訴訟代理人である弁護士青柳孝は本訴提起前である昭和二十一年十二月末日より昭和二十二年一月頃までの間において、控訴人から、本件土地に関する当事者間の紛争についてその原因及び経過を述べて弁護士としての意見を求められたのに対し、楽観的な意見を述べ、かつその際控訴人から訴訟になつたときは宜しく頼むと申出たのに対して、承知した旨を答えた事実が認められる。しかし前記控訴人本人の供述によると、本件係争事件について、被控訴人からその解決方を甲府警察署の人事相談部に願出で、控訴人も同人事相談部に出頭した際、その帰途に偶々、同弁護士の事務所の前を通りかゝり、他に知合の弁護士もないまゝに、初対面ではあるけれども一応同弁護士の意見を聞いてみようと思いつき、同弁護士を訪れ約三十分間にわたつて、右紛争問題についてその意見を聞いたのであるが、別に鑑定料を支払わず、唯いずれ裁判沙汰になつた際には依頼する旨を述べておいたに過ぎないものである経緯を窺うに足りる。してみれば、本件は一応被控訴人(第一審原告)の訴訟代理人である弁護士青柳孝において、訴訟提起前に相手方である控訴人(第一審被告)の協議を受けたものであるには相違ないけれども、叙上の如く、同弁護士が控訴人から右紛争問題についての意見を求められたのに対し楽観的な見解を述べ、かつ、控訴人が訴訟になつたら頼むといい、また同弁護士もこれを了承した旨を答えたとしても、以上認定したような経緯と状況とを背景として考えるときは、これらは畢竟するに、いずれも儀礼的な言葉のやりとりの域を出でなかつたものとみるのが、むしろこの場合の真相に合致するものと解すべきである。従つてかゝる程度において同弁護士が意見を開陳し、又は依頼を承諾した場合にあつては、本件は未だ弁護士法(旧)第二十四条第一号に規定しているように、相手方の協議を受けて賛助し又はその委嘱を承諾した場合には該当しないものと解するのが相当であるから、同法案を援用し、弁護士青柳孝は訴訟代理人として職務を行うことができないものであるということを前提とする控訴人の右抗弁は理由がない。
よつて進んで本案請求の当否について検討する。
被控訴人は甲府市柳町七十四番地に土地を所有し、控訴人は被控訴人の右所有地内に木造亜鉛葺平家建店舗兼住宅一棟建坪十六坪を建設所有し、その敷地二十坪(同所七十四番地宅地の西南端、柳町通りと鍜治町通りとの角を基点として、これから北へ間口四間、東へ奥行五間の土地)を占拠している事実は本件当事者間に争いがない。
当初被控訴人が昭和二十年十一月二十四日控訴人に対し右柳町七十四番地の土地を賃貸したことは、控訴人の認めるところであるが、その賃貸借契約の内容について、被控訴人は、右賃貸地積は十坪、これに建築する建物は移動式であること、期間は昭和二十一年六月末日までとする一時使用を目的とする賃貸借であつたと主張し、控訴人も原審以来右主張事実を認めてきたのに拘らず、当審における昭和二十六年三月三日の口頭弁論において、右自白は真実に反しかつ錯誤に基くものであるから、これを取消すと主張する。しかしながら右自白が真実に反しかつ、錯誤に基くものであるとの点に至つては、これを認めるに足る証拠はないから、該自白の取消はその効力なく、従つて、右賃貸借の内容に関する前記被控訴人の主張事実は、本件当事者間に争いのないものといわなければならない。しかして右賃貸借の期間が昭和二十一年十二月末日まで延長せられたことは被控訴人の自ら主張するところであるから、右十坪を目的として一時使用のためなされた前記賃貸借は昭和二十一年十二月末日を以て期間満了により一応終了したものというべきである。
しかるところ、控訴人は、昭和二十年十二月十九日当事者間において、前記昭和二十年十一月二十四日の賃貸借契約を改め、右十坪のほか更に右柳町七十四番地の内の二十坪を加えて合計三十坪の土地を目的とし、普通建物の所有を目的とする期間の定めのない賃貸借契約が新に締結されたものであると主張するから、この点について考える。
控訴人が右地上に家屋を建築するについて山梨県知事に提出した建築許可願には、建築の坪数十坪、敷地の面積三十坪と記載されており、右願書に添附の承諾書に、被控訴人が地主として控訴人の個人用住宅の建築を承諾するものとして署名捺却していることは、被控訴人の認めるところであるけれども、原審証人青柳一雄の証言、原審並びに当審における被控訴人本人訊問の結果を綜合すると、被控訴人が右承諾書に署名捺却した趣旨は、当時バラツクを建てるにしても、建坪十坪のものについては敷地を三十坪あるような形式にしておかないと建築許可にならないからとの控訴人の申出によつて、唯控訴人のため建築許可が得られるような便宜を与えるため、書類の形式の上だけ敷地を三十坪と記載して建築許可願を出すことを承認し、その意味において承諾書に署名捺印したものに過ぎない事情が窺われるから、右承諾書に被控訴人が署名捺却したという事実を以て、控訴人の主張のような新しい賃貸借契約に改められたということを肯定し得る資料となすに足りない。また被控訴人が昭和二十一年六月末控訴人から、当時控訴人が現実に使用していた十二坪の土地に対する同年七月一日から同年十二月末日までの賃料の支払を受領した事実は被控訴人の認めるところであるが、原審における被控訴人本人訊問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、控訴人が昭和二十一年三月頃被控訴人の知らない間に右地上に風呂場兼勝手として二坪の増築をしたので、被控訴人はその後己むを得ずその敷地に当る二坪の土地についても、前示賃貸借の期間中に限つてその使用を許し、従つてそれに相当する期間中の使用料をも含めて前記金員を受領した趣旨を認めることができるから、右賃料受領の事実を以て、控訴人主張の賃貸借契約の成立を認むべき証左となすことはできない。更にまた控訴人は右賃貸借の成立を推測せしむべき資料として、被控訴人は本件土地に復帰してその営業を再開する意思はないものであると主張するが、原審証人青柳一雄の証言、原審並びに当審における被控訴人本人訊問の結果を弁論の全趣旨に併せ考えると、被控訴人は従前久しきにわたり本件土地を含む甲府市柳町七十四番地の土地に住宅及び店舗を有し芳文堂と称して印刷業を営んでいたところ、昭和二十年七月罹災したので同市久保町二十四番地に転居したが、柳町七十四番地の焼跡に復帰するには、その営業の規模からみて、準備に相当の期間を要するので、控訴人の要望に応じ、その間を限つて一時控訴人に右土地を賃貸したに過ぎないのであつて、被控訴人としては昭和二十二年春頃から右転居先にて印刷業を始めたけれども、早晩右焼跡に復帰してその営業を開始する意思であり、その間かゝる意思を放棄したことのない事実が窺われるから、控訴人の右主張は採用できない。その他原審並びに当審における証人宮川みきの証言及び控訴人本人(原審は第一、二回とも)の供述の内には、賃貸借契約改訂に関する右控訴人の主張に副うものがあるけれども、いずれもこれをにわかに措信し難く、控訴人の提出援用にかゝる爾余の証拠を以てするも右控訴人の主張事実を明認するに足りない。
従つて本件土地につき当初の賃貸借契約が改訂せられ、新に敷地三十坪を目的とする賃貸借契約が成立したという控訴人の主張はその理由がないものといわなければならない。
なお、控訴人は、被控訴人が控訴人の本建築に当つてこれに同意を与えたものであるから、その際普通建物の所有を目的とする賃貸借契約が成立したと主張する。しかしながら前段説述の如く、当初控訴人が本件地上に建坪十坪の家屋を建築するについては、被控訴人もこれを承諾し、その後昭和二十一年三月頃風呂場兼勝手として二坪が増築されたときは、被控訴人はその後これに事後承諾を与えたものではあるが、原審における被控訴人本人訊問の結果によれば、被控訴人は右控訴人が建築せんとする建坪十坪の家屋は、当初の契約に従い、簡易に移動し得る程度の構造を有するものであると考えたので、その建築に承諾を与えたのであるが、その後控訴人は前述の如く二坪の建増をしたばかりでなく、土地明渡の期限もせまつた昭和二十一年十二月末日頃控訴人が無断にて本件地上に更に増築工事を進めているのを発見したので、被控訴人は控訴人に対しこれに異議を述べ、その工事の中止を要求するとゝもに、一方甲府警察署人事相談部にその解決方を願出でたものであつて、その間控訴人の本建築につき被控訴人が全面的に承諾を与えたことのない事実を認めることができる。右認定に反し控訴人の主張に副う原審(第一、二回)並びに当審における控訴人本人の供述は措信し難く、他に該認定を覆し控訴人の主張事実を認めるに足る証拠はない。以上の如く控訴人の本建築につき被控訴人がこれを認識して承諾を与えたようなことはないから、控訴人の右主張は採用の限りでない。
従つて一時使用のためにする前示賃借は、当初その目的となつていた十坪並びに前述の如く被控訴人において右賃貸借の存続中に限つてその使用を承諾した二坪合計十二坪については、昭和二十一年十二月末日を以て期間の満了により終了したものであり、控訴人の占拠するその余の土地に至つては、控訴人には当初からこれを占有し得べき正当なる権原が認められないから、控訴人は前記建物を收去して本件土地を、所有者たる被控訴人に明渡すべき義務があるものである。
次に被控訴人の損害賠償の請求の当否について審究する。
被控訴人が損害賠償を請求する根拠として主張する理由は、被控訴人は従前営業をしていた本件土地に復帰するときは、印刷業により相当の利益を挙げ得ることは、既往の実績に徴して明かであつて、被控訴人の昭和十九年度における收益として甲府税務署の認定した事業所得額は、一ケ年金一万六千四百六十円であるから、昭和二十二年一月以降は、その十倍に達する利益、即ち一ケ年金十六万四千六百円の利益を挙げ得るものとすることができるところ、被控訴人は現在久保町において印刷業により一ケ年金四万五千円の收益を挙げているから、その額を差引き残額金十一万九千六百円は、まさに控訴人が右土地を明渡さないことによつて被控訴人が一年間に失つた損害というべきであるから、昭和二十二年一月一日から土地明渡済みに至るまでの間に生ずべき右損害の賠償を求める、というに在る。
しかして被控訴人が本件土地を含む甲府市柳町七十四番地の土地の上に、住宅及び店舗を有し芳文堂という商号で印刷業を営んでいたところ、昭和二十年七月罹災したので同市久保町二十四番地に転居し、その後昭和二十二年春頃から同所で印刷業を始めたけれども、早晩右焼跡に復帰してその営業を再開しようという計画であることは、前段認定のとおりであり、原審並びに当審における被控訴人本人訊問の結果によると、被控訴人は前記柳町に建物を建築する準備として一応昭和二十一年一月頃山梨県中巨摩郡睦沢村地内の山林を建築用材として買受け、またその店舗工場の新築工事の設計をなさしめたことは認められる。従つて被控訴人としては、控訴人が昭和二十一年十二月末日限り右土地を明渡したならば、直ちに店舗工場の建築に着手し、その完成をまつて同所に帰復し印刷業を始める予定であつたことは明白である。しかしながら被控訴人が右土地に復帰して営業を開始したとしても、昭和二十二年一月以降現実に果してどの程度の営業を始めることができたかについては、当審証人清水勝太郎の証言によつて成立を認め得べき甲第四号証の設計図のみでは未だ必ずしも明確とは断定し得ずその他控訴人の立証によるもこの点は明かでない。のみならず成立に争いのない甲第二、三号証によると、被控訴人に対する甲府税務署の昭和二十年度の甲種事業所得決定額が金一万六千四百六十円であり、また昭和二十二年度の所得金額の更正決定額が金四万五千円であることが認められるけれども、終戦前と終戦後とでは、経済界の事情は非常な変動があるものであるから、昭和二十年度と昭和二十二年度の税務署における所得決定額の比較や物価指数の関係だけを取り上げて、前記土地に店舗工場を設け営業を開始した場合における昭和二十二年一月以降の被控訴人の営業上の收益を算定しようということは、殆ど不可能であるといわなければならない。
従つて結局被控訴人の提出援用した証拠によつては、未だ被控訴人主張の如き営業上の損害が発生したものであると肯定しがたいことに帰着するから、被控訴人の損害賠償の請求は、爾余の点について判断するまでもなく、これを認容し得ないものである。
されば被控訴人の本訴請求中、控訴人に対し建物を收去して土地の明渡を求める部分は正当であるが、その余は失当であるから、これと同趣旨の判断をなした原判決は相当であつて、本件控訴並びに附帶控訴はいずれも理由がない。
よつて民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条に則り主文のとおり判決する。
(裁判官 浜田潔夫 保持道信 牛山要)